パットマンⅩの 遊星より愛をこめて

桑田のユニフォーム姿、良いね!

野球のあった風景とウルトラマン

こんばんは♪
CSの日テレジータスでは、「ジャイアンツ ヴィンテージ」と銘打って昔の野球中継を当時の音声付きで放送することがあります。僕のようなシニアファン(いつの間にかそうなってしまった)にとっては非常に懐かしい訳ですが、その中でも1973年終盤の巨人対阪神の息詰まる熱戦を放送してくれたのは嬉しかったですね♪

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川上監督はどんな場面でも表情を変えることもなく、いつもベンチで貧乏ゆすりをしていました(笑) このおじいちゃん、実は今の僕より年下です^^; 右は高田。

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戦況を見つめる牧野ヘッドコーチ。この人はいつでも沈着冷静。後に日本テレビの解説者となりましたが、その論理的で分かりやすい解説、落ち着いた語り口には、流石にV9の懐刀と言われただけのことはあると納得したものです。今の巨人のヘッドコーチとは正に雲泥の差。右端に顔半分だけ見える森も解説者当時、牧野さんと同様に論理的かつ落ち着いた喋りを聞かせてくれました。後に西武監督としてV9に勝るとも劣らない成績を残した下地は、現役、解説者、ヤクルト・西武のヘッドコーチなどの各時代に確実に培われていたのでしょう。牧野さんの左は淡口。

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江夏対王の対決。すでに得点は7対0と阪神が序盤で大量リードしていますが、この試合は後に語り草となるほどの両軍死力を合わせた総力戦となります。

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左は毒蝮三太夫に似ていることから「マムシ」と呼ばれた柳田。長嶋監督時代には一時期”史上最強の5番打者”と称されました。中央は萩原。

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マウンドに集まる阪神内野陣と金田監督。キャッチャーは言わずと知れた田淵。

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打たれてしゃがみ込む上田。

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萩原の代打ホームラン。

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ホームランを打ち笑顔の高田。結局、この試合は10対10の引き分けで終わります。この年は阪神対巨人の直接対決となった甲子園最終戦で巨人が9対0で圧勝し、V9を成し遂げました。もしこの引き分けとなった大熱戦を阪神が制していたら優勝の行方はどうなっていたでしょうね?

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当時のテレビ中継はバックネット裏からの画像がメイン。王の大ファンだった僕は、この画面の右上に向けて約45度の角度で放たれる白いボールの軌跡をひたすら願いながら観ていました♪

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長嶋は好きではありませんでした。どうしてかって? ON砲と並び称されながらも人気では王を遥かに上回っていたからです(笑) それが癪に障り、チャンスで長嶋が打席に入ると「打つなよ、打つなよ~」と今の竜兵ちゃんばりに心の中で念じていたものです。ところが長嶋はチャンスに滅法強い! 「やっぱり打った~!(>_<;)」 僕の願望もボールと共にものの見事に打ち砕かれました(上手い!^^;)

ここからは、どうして今の日本のプロ野球を観なくなったかの話になるんですが…。この試合では、現在のような応援団の大歓声や合唱、楽器の音は全くと言っていいほど聞こえません。静かなんです。静かなのは盛り上がりがないという意味では決してなくて、野球というスポーツが持つ本来の特性です。サッカーのように常に動きがある競技とは異なり、ピッチャーが投げ終わるごとに「間」があります。その「間」に、ある場合にはキャッチャーがマウンドまで行き、バッターは打席を外して再度気持ちを昂らせます。そして、改めて1対1の対決へと…。チャンスの場面で江夏が王に向かって投げる瞬間、観客は固唾を飲んで見守り、ストライク、ボールの判定に一喜一憂し、ホームランが出れば静寂から一気に歓喜へとステージが切り替わる…。

スポーツとは野球に限らず、観ていれば自然に盛り上がるものであって、そうでない場面では、野球なら観客はビール片手に隣の人と世間話でもしていれば良いし、欠伸をしてたって良い、居眠りをしてたって良いんです。そして緊張感が高まる展開になれば一気にヒートアップする。これが本来の姿だと思います。ところが、今の球場は最初から最後までドンチャン騒ぎ。一刻の「間」も入る隙がありません。これでは野球を観たい人間にとっては堪ったものではない。古くは佐々木信也、現在では新井宏昌などこうした応援の形態に苦言を呈する人もいますが、そうした意見はごく少数派で、一向に改善する気配がないどころか、ますます酷くなっている。多くのファンは応援を含めた球場の雰囲気を楽しむために観戦に行くという、野球が好きなんだか応援が好きなんだか分からないという本末転倒とも言える状態。だから僕は球場にも行かないしテレビも観ない。結果だけを確認し、その他の情報は主にネットニュースなどから仕入れます。うるさくて我慢ができないんです。

本場アメリカの野球、メジャーリーグには、この「間」が長い歴史を経る中でちゃんと保存されています。1973年の巨人対阪神戦のような、言ってみれば牧歌的な野球を楽しむことができるんです。投手の剛速球が捕手のミットに吸い込まれる音、バットとボールが僅かにかすった時のチップの音、打撃妨害を犯した捕手のミットとバットとの衝突音、走者がグラウンドを駆け巡る音、これら全ての音が耳に心地良い。子供の頃、野原でやった、あるいは観た野球の原点がそこにはあります。観客は思い思いに、それぞれのスタイルで野球を楽しんでいます。グラウンドに背を向けて応援にばかり熱中する人などひとりもいません。これが当たり前なんですけどね。さらに突っ込むと、アメリカには企業名を名乗るチームなどひとつもない。メジャー30球団それぞれが市民のものなのですから、フライチャンズとする都市や州の名を名乗るのが当たり前。だからこそファンは「おらが町のチーム」として、おじいちゃんやおばあちゃん、両親、孫、世代を超え一緒になって応援するんです。云わば、メジャーリーグアメリカ人にとっての文化です。顧みて日本は、都市対抗野球と銘打った大会までもが企業名を名乗るチームばかり。プロも当然のように球団名からユニフォームまでベタベタと宣伝のオンパレード。一体、誰のためのチームなんでしょう? これでは文化にまで昇華することは永久にないでしょうね。

当たり前のことが当たり前として通用しない、こんな主張をしたらむしろ変人扱いされる日本の野球には、もううんざりなんです。

追伸:インドでは今年の3月から現在まで住民15人を殺害した野生の象を未だに射殺せず、射殺は最終手段として、今後どうするか検討しているそうです。信じられない…。お国が違えば常識も変わる。僕も日本式の野球に馴染むよう、拘りを捨てないといけないのかな??( ̄∇ ̄;)



こちらはCCPの”至極のウルトラマン

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もうかなり前に発売された30㎝キャスト完成品です。
CCPらしく、劇中と同じ個所にあるスーツの傷など細かなところに拘っています。

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やっぱり拘りって大事だよね(どっちやねん!?笑)

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