パットマンⅩの 遊星より愛をこめて

桑田のユニフォーム姿、良いね!

熱闘!日本シリーズ1981 巨人‐日本ハム

1981年の日本シリーズが収録されているDVDです。
当時は日本ハムも後楽園球場を使用していましたので、史上唯一の同一球場でのシリーズとなりました。

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1981年は、私にとって忘れられない年なんですよ。
2年通った大学を中退し、別の大学を受験し直すために浪人していました。20歳の受験生です。年齢的にも落ちることは許されませんし、落ちたら就職と親からも厳命されていました。言わば、その後の人生を左右する年。プレッシャーだったなあ。家からもほとんど出ず、受験勉強に明け暮れていました。それでも野球だけは観るという、まるでファンの鏡のよう^^


久し振りに目の当たりにすると、記憶から抜け落ちていたことが幾つもあることに気が付きます。というか、覚えていたのは、第1戦に角がサヨナラヒットを打たれたこと、ルーキー原が確か第4戦でホームランを打ったこと、優勝を決めた第6戦のウイニングボールは江川が掴んだこと、その瞬間、藤田監督、王助監督、牧野ヘッドコーチの三人が抱き合わんばかりに喜んでいたこと。それくらい・・・

正直なところ、日本一を決めるシリーズにしては随分緩いな、というのが偽らざる印象。それは、メジャーの素晴らしい球場に慣れた現在の目から見た後楽園球場の安っぽさであったり、日ハムのお粗末なユニフォームであったりと、視覚的な要素が多分に入り込んでいるものと思われます。

あとひとつ、正直な感想。日ハムの選手がみんな近所のオッサンだァ( ̄∇ ̄)

それはさて置き、一番驚いたのが、日本人メジャーリーガー第1号の村上雅則が日ハムのピッチャーとして登板していたこと。そして、その出来事が全く記憶に残っていなかったこと。

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サンフランシスコ・ジャイアンツに2年在籍5勝1敗9セーブの成績を残した村上雅則

トルネード野茂英雄が海を渡ったのが1995年。以後日本人メジャーリーガーが次々と誕生し、その先駆けとしての村上が俄然注目され始めました。それより遥かに時代を遡る81年当時には日本人メジャーリーガー第1号という肩書はあまり意味を持たなかったのかも。彼の現役時代の姿をリアルタイムで見ていたんだという新鮮な感覚。村上さんは、現在でもNHK-BSの解説者として流暢な喋りを聞かせてくれています。

そしてもうひとつ驚いたのが、かの伝説のリリーバー江夏豊もマウンドに上がっていて、そのことも私の脳味噌には少しも記憶を留めていなかったこと。一体何を観ていたんでしょう??

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        打者篠塚に向かって投げる江夏



実はこのシリーズ、日本ハムに負けるはずがないと高を括っていました。それは、パ・リーグの対ロッテのプレーオフ(当時は2シーズン制)を観ていたからなんです。両チームともに何とも締まりのない戦いぶりで、大沢啓二山内一弘両監督の采配にも見るべきものはなく、これが仮にもリーグ優勝を争う戦いかいなと、半ば呆れていたものですから。でも日ハムには江夏大明神が控えているとなったら・・・。決して楽観視は出来ないはずですよね。

他に目に付いた選手としては、日ハムの第1戦先発 高橋一三。巨人のV9にも大きく貢献した投手です。

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       このフォーム、懐かしいなあ♪
 


肩が極端に張った体型から、衣紋掛けと呼ばれました。このシリーズ、高橋の遅いスライダーに巨人の各打者は苦しんでいましたね。数十年振りに溌剌と投げる様子をじっくりと見ることが出来て、とても嬉しかった。引退後は日ハム、巨人のコーチ、巨人の2軍監督などを歴任。

続いて、ロイ・ホワイトとゲーリー・トマソンの両外国人。

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ロイ・ホワイト


                          ゲーリー・トマソン

ホワイトは性格的にも紳士で、このシリーズに限らず良い働きをしたプラスのイメージが残っていますが、トマソンの方は「ああ、いたんだ・・・」という程度。このDVDでも目を覆うようなライトの守備を連発し、牧野ヘッドがよくこいつをシリーズで使ったなと感心してしまいます。三振が多く「舶来扇風機」「トマ損」などと酷評されました。巨人ファンは外国人には厳しいんです。

日ハムの木田勇も忘れられません。

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この前年には新人で22勝を挙げ投手部門のほとんどのタイトルを独占し、凄いピッチャーがいたもんだと驚異の眼差しで見ていましたが、2年目以降は鳴かず飛ばず。結局、NPB在籍11年で60勝71敗の成績を残すに留まりました。

晩年の成田文男も投げていたのですね。ロッテのイメージが強かったので、これまた意外。68年から3年連続で20勝以上を稼いだ好投手。この81年は4勝4敗。

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        第4戦 河埜和正にホームラン被弾

ロッテ時代の成田

村上、高橋一三、江夏、成田と、他球団で実績を残した選手を複数獲得していたんですね。広島にいた”巨人キラー”高橋里志も名を連ねています。悪く言えば寄せ集め? 一時期の某金満球団を彷彿とさせます^^ 

選手ではありませんが、”親分”大沢啓二監督も懐かしい♪ べらんめえ調の語り口でのマスコミ対応、しかもタバコをスパスパと。”紳士”藤田元司監督とは対照的。

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この時、まだ49歳だったんですね。それなのにこの貫禄。さすがは親分^^ 味があるな~。こんな監督、もう現れないかも。
ちなみに、江夏と高橋里志は広島時代からメッチャ不仲だったそうな。そこで大沢監督は二人を自宅に呼び「よそでなら、なんぼでもケンカしろ。でもな、ふたり一緒にマウンドに上がるわけじゃねぇ。今度は俺の下で働くんだから、とにかく黙って仕事しろ」と諭したそうです。

優勝を決めた直後のシーン。江川、山倉、中畑、篠塚、原・・・。

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歴史を感じますねえ。でも、つい昨日のことのようです。V9を達成した1973年以来、実に8年振りの日本一でした。長かったなあ。
テレビでこの歓喜の瞬間を眺めながら「巨人も頑張った。今度は俺の番だ」と、浪人中の私は意を強くしたものです。お蔭で(?)入試には無事合格。2度目のキャンパスライフを送ることとなりました。

昔も今も、ジャイアンツは常に私の傍らにあるのです♪