パットマンⅩの 遊星より愛をこめて

桑田のユニフォーム姿、良いね!

太陽の塔 1/144 塗装済み完成モデル

再びおっはー!
 
1970年の日本万国博覧会、異常な盛り上がりでした。
その象徴が太陽の塔でしたね。
かの岡本太郎作。
それが50センチソフビになって帰って来ましたよ。
 
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「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。日本においては1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、多くの企業・研究者・建築家・芸術家らがパビリオン建設や映像・音響などのイベント制作・展示物制作に起用された。大阪市など会場周辺市街地では万博開催への整備がなされ、道路や地下鉄建設など大規模開発が進められた。一方、第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、同じく1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する議論や反対運動(70年安保闘争)を大イベントで国民の目からそらすものだとして、大学生らによる反対運動も行われた。
テーマ館の太陽の塔アメリカ館・ソ連館などの、人気パビリオンでは数時間待ちの行列ができるなどして大変混雑した。特にアポロ11号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々と続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。その異常な混雑ぶりから、テーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』と揶揄されたことがある。また、国際博覧会史上初めて黒字となった。
名称:日本万国博覧会(Japan World Exposition)
テーマ:「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind)
開催期間:1970年3月14日~1970年9月13日(183日間)(一般公開は3月15日から)
性格:国際博覧会条約に基づく第1種一般博(General/first category)
会場運営:財団法人日本万国博覧会協会
面積:330ha
総入場者数:6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)
目標入場者数:3,000万人
参加国数:77カ国4国際機関
迷子になった親と子供の数:22万643人
モノレールへの乗車人員:約3,350万人
売上金額:入場券 約350億円 食堂・売店関係 約405億円
1日の入場者:最高 83万5,832人(9月5日) 最低 16万3,857人(3月16日) 平均 約35万人
迷い人:大人 12万7453人 子供 4万8190人
落し物:5万227件(その内、金銭は4,780万円)
食中毒:43件 計404人
大阪万博の最終的な総入場者数は約6,421万人で、2010年中国・上海で開かれた上海万博に抜かれるまでは万博史上最多であった(上海万博は7,278万人。)。また、愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博(つくば博)、花の万博(大阪花博)、愛知万博愛・地球博))。
なお、1940年3月15日から8月31日にかけて東京で開催される予定で日中戦争の激化などを受けて開催延期された「紀元2600年記念日本万国博覧会」の前売り券が、代替として本博覧会で使用できたため約3000枚が使用された。
 
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大阪は遠かったのでとても行くことは叶いませんでした。
それでもこれを部屋に飾って往時を懐かしむjことは出来ますね
 
あれからもう43年かァ。。。
歳とる訳だ