パットマンⅩの 遊星より愛をこめて

桑田のユニフォーム姿、良いね!

チビちゃん

これも古い話ですが、Xが初めて家を出てアパート暮らしを始めたときのことです。
お隣さんは三味線のお師匠さんで、毎日ベンベン鳴らす音が聞こえてくる賑やかな環境でした。

そのお隣さんでは、時々来るネコにエサをあげて可愛がっていたようで、よく「チビ!」とネコの名を
呼ぶ声が聞こえていました。

そのネコがいつ、どうしてXの部屋に来るようになったのか、今では全く忘れてしまいました。
とにかくそのチビちゃんは、お隣さんを差し置いてXのところに度々来るようになったのです。
おそらくは、何かエサをあげたのがきっかけだったとは思います。

グレーと白の模様のオスでした。
部屋に来るときにはベランダの窓の外でじっと待ってることもありましたし、玄関の外で
待っていることもあったようです。

可笑しかったのは、ある日宅配便が来たときに玄関のドアを開けたら、チビちゃんがダダーっとすごい勢いで部屋の中に駆け込んできて、即座にベッドの下に隠れたことでした。
きっと外でじっと待っていたのでしょう。

ベッドの下を覗き込むと、小さく真ん丸くなって、引っ張り出されるのを拒むような姿勢をとって
じっとこっちを見ていました。

Xは元から追い出すつもりはさらさらなかったので笑いながら「こら、出ておいで。」と言ったのですが、
容易に出てきません。

こんなときにはこの手に限ります。
長い紐をチビちゃんの目の前に置いて、パタパタ左右前後に動かせば、反射的に紐を追いかけて来るので簡単に捕まえることが出来ました。

「しょうがないなー、お前は。」と言いながらチビちゃんが好きな缶詰のエサをあげたものでした。
Xはこのときには、チビちゃんが可愛くて堪らなくなっていたのです。
ある夜、レポートを書こうと思って机に向かい(一応学生だったので勉強はしました^^)、レポート用紙を広げると、これは不思議なことにネコに共通して言える行動なのですが、チビちゃんはひょいと机の上に飛び乗り、レポート用紙の上にペタンと座り、毛づくろいを始めてしまいました。

「あれあれ、これじゃレポートが書けないやんかー。」と、チビちゃんを持ち上げて、「こっちにいなさい。」と言ってXの膝の上に乗せました。

レポートを書いてる間、チビちゃんは膝の上でスヤスヤ熟睡しておりました。
友人が大勢遊びに来たときも、チビちゃんは物怖じせずに部屋に来て、みんなのアイドルになったものです。

そんなこんなで何ヶ月が過ぎた頃、Xは友人3人と蓼科へ旅行に行くことになったのです。
旅行に行くのはいいのですが、Xが不在の間のチビちゃんがちょっと気になります。
「お隣さんもいるし、まあ大丈夫だろう。」と無理やり自分を安心させて、待ち合わせ場所の都内に行き、そこから車で蓼科に向かいました。

実はアパートを出るときもチビちゃんのことが気になって、多少後ろ髪を引かれる思いもあったのです。
でも帰ってくればまた元気な姿を見せてくれるだろうと考えておりました。

すると駅に向かう道の途中で偶然チビちゃんに会ったのです。
大きなバッグを抱え「行ってくるよ!」と声をかけると、チビちゃんは何も言わず、こっちを見ていました。

蓼科への旅行というのは、今だから書けますが一種の不倫旅行のようなもので、お互いに彼女がいる男の友人と、他の女の子2人、都合4人で出かけた破廉恥な(古い言葉~^^;)旅だったのです。
そして夜になると本命の彼女に電話したりして、今思えば勝手放題を尽くしてました。

そんなスリルも感じながら楽しい時間を過ごした二日目の昼頃でした。車で移動している途中の道で、ネコが車に轢かれて死んでいるのを見かけたのです。
一瞬、体の模様がチビちゃんに似てるように感じました。
「あれ?」と通り過ぎてから思ったのですが、アパートから何十キロも離れたこんなところに
チビちゃんがいる筈もありません。
「まさかね。」

Xは友人の運転する車を止めることもなく、そのまま旅行を続けたのでした。
アパートに帰れば、きっと真っ先にチビちゃんが姿を見せるだろうと考えながら。





結局、チビちゃんはそれから二度と現れませんでした。
お隣さんが「チビ!」と呼ぶ声も一度も聞こえなかったのです。

Xが旅行に行っている間に、Xに見切りをつけてどこか別の家になついたのでしょうか。
あれから二十年以上経ってるのに心残りで仕方がありません。
あのとき車を止めて確認しておけば良かったと、後悔の念が消えません。

もしあのときのネコが本当にチビちゃんだったら?
そんなことはあり得ないという思いと、もしかしたらという思いが交錯して落ち着きません。

実際にはあり得ないことを気にして何十年も過ごしてきたXがどうかしているんでしょうか。
チビちゃんは、きっとどこかで元気に暮らし、天寿を全うしたと考えるべきなのでしょう。
いえ、そう考えたいというのが本音です。

今でも決して心から消えることのないネコの思い出でした。